ミッキー吉野&タケカワユキヒデ Special Talk 12

はじめに

ゴダイゴは1976年4月1日、シングル「僕のサラダガール」でデビュー。
78年に「ガンダーラ」、「モンキー・マジック」、79年に「ビューティフル・ネーム」、「銀河鉄道999」、「ホーリー&ブライト」などヒット曲を放つと、1980年には海外に挑み、ネパール王立競技場で6万人を集めた野外コンサート、ロサンゼルスの市政200年祭、ロックバンドとして初の中国公演(第一次中日友好音楽祭)を成功させた。85年に活動を休止したものの、99年の期限付き再結成を経て、2006年に恒久的再始動を決定、今日に至るまで活動してきた。
2026年のデビュー50周年を前に、ミッキー吉野、タケカワユキヒデの両氏に、74年の出会いから50年の歴史、そして未来を語ってもらった。

第12回

――1982年にリリースされたゴダイゴのアルバムは、CMのために制作された楽曲を収録した『CMソング・グラフィティ Vol.2』(6月)でした。翌1983年にはシングル「キャリー・ラヴ」が9月にリリースされています。当時、ゴダイゴの国内コンサートが行われていた一方で、タケカワさんは浅野さんと組んでのソロ活動、ミッキーさんはトミーさんや吉澤さんとともに「Debut!」(デビュー)、「PAN」(パン)といったバンドを結成していきます。ゴダイゴという核は残しつつも、メンバー各々の活動としても色々と広がりを求めていたような時期だったのでしょうか。

ミッキー:トミーにしろ、洋治にしろ、それぞれ曲を書いていたので、そういうものが発表できる場を作るということと、あとはホーン・セクションの人たちと一緒にやろうという気持ちがありました。広がりを求めてとか、特にこれといった理由はなかったです。ただ、相変わらず周りに理解されていないんじゃないか、という意識はあったかもしれませんね。時代が変わっている、というのはもう何回も言っていたことなんですが、それがなかなか伝わらない。だから「何をやっているんだろう?」ってみんなに思われちゃうんですよね。

タケカワ:期待されているという部分ももちろんあったと思うんですけど、ゴダイゴらしい活動っていうものが何なのかを周りが決めてかかってきちゃうというか…どうしても分かりやすさを求められてしまうという感じはありましたね。

――1984年に入ると久々のオリジナル・アルバム『FLOWER』を1月にリリース、9月に未発表ライブ作品集の『平和組曲』、11月には『ワン・ディメンション・マン』と多数のアルバムのリリースが続きました。当時のレコーディング事情を振り返ると、ちょうどアナログからCD、デジタル化への移行が本格的に始まってきた時代だったように思いますが、タケカワさんのデモテープをもとにミッキーさんがアレンジを施すというかつてのゴダイゴの創作体制にも変化はありましたか。

ミッキー:『FLOWER』はそれまでのゴダイゴの制作スタイルとそこまで大きくは変わらなかったんですが、段々とコンピューターを取り入れた録音方法が台頭してきました。これからどういう時代になるのか、さらに情報化社会になっていくのかな…とか、音楽そのものの在り方はもちろん、マーケットや流通ということについてもさらに色々と考え始めた時期でしたね。音づくりの面から見ると『ワン・ディメンション・マン』の頃はタケがいちばん変わった時だったと思います。

――ちなみに『ワン・ディメンション・マン』の制作が進んでいく中で、皆さんの中でこれがゴダイゴ最後のアルバムになるというような共通認識はあったのでしょうか。

ミッキー:いや、そんな状況ではなかったですね。今だから話せるんですけど、実はゴダイゴとして制作供給しなくてはいけないアルバムの枚数が決まっていたんです。

タケカワ:そう、どうしても作らなきゃいけなかったんです。それはビートルズも同じで、きっとそのおかげでいっぱいアルバムを作ったんだと思うんですよね。僕は『FLOWER』が出た後、デモテープもずっと作っていました。それで自分でギターもガンガンに弾いて、何もかもやって。しかもそれをほとんど機械で、ハード・ロックでいけるぞっていうのがあって作ったソロ・アルバムが『泥棒日記』(1984年8月リリース)でした。そのまま続けて一気に『ワン・ディメンション・マン』の作業に入っていったので、そういう意味では僕の中では繋がっているんですよね。

ミッキー:とにかく『ワン・ディメンション・マン』の時には普通なものは作りたくなかったですね。タケがかっちり曲を書いてきてくれたので、僕がそこで入り込んだのはエンジニアリングでした。たとえばドラムの定位がいつも完璧に真ん中にいなきゃいけないとか、そういうこと全部を壊したかった。あとは楽曲の日本語タイトルは僕が考えました。しかし、タケがまさかあそこまでコンピューターにのめり込むとは思っていなかった(笑)。

タケカワ:新しい機械がたくさん出始めた時だったので、それはどうしても試したくなりましたし、実際にいっぱい試しましたよね。当時の僕はまさにコンピューター一筋、という感じでした。

(第13回に続く)

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