ミッキー吉野&タケカワユキヒデ Special Talk ⑩
はじめに
ゴダイゴは1976年4月1日、シングル「僕のサラダガール」でデビュー。
78年に「ガンダーラ」、「モンキー・マジック」、79年に「ビューティフル・ネーム」、「銀河鉄道999」、「ホーリー&ブライト」などヒット曲を放つと、1980年には海外に挑み、ネパール王立競技場で6万人を集めた野外コンサート、ロサンゼルスの市政200年祭、ロックバンドとして初の中国公演(第一次中日友好音楽祭)を成功させた。85年に活動を休止したものの、99年の期限付き再結成を経て、2006年に恒久的再始動を決定、今日に至るまで活動してきた。
2026年のデビュー50周年を前に、ミッキー吉野、タケカワユキヒデの両氏に、74年の出会いから50年の歴史、そして未来を語ってもらった。

第10回
――1980年は、ワールド・ツアーと並行して制作したアルバム『カトマンドゥー』を10月にリリース。翌81年1月にはシングル「ナマステ」が日本語バージョンでリリースされました。
タケカワ:実は「ナマステ」は誰にも聴かせていなかったけど、海外に行くよりも先にできていました。「カトマンズ」を作曲したときは自分でもびっくりするほどよくできていたので、すぐに、みんなに聴いてもらったんですけど、「ナマステ」を書いた当初の僕はピンと来てなかったのかな? わかんないな。ミッキーにアレンジしてもらって、すごく壮大な作品になりましたね。
ミッキー:ストリングスのアレンジを書いていて気持ちが良かった記憶がありますね。アレンジを経て曲が思いがけない仕上がりになることがあるんです。そういう意味で印象に残っているのは「ナマステ」と「トライ・トゥ・ウェイク・アップ・トゥ・ア・モーニング」ですね。ゴダイゴの世界観に合うかなと思いながら、色々なアイデアを編曲で試してみて、もちろん合っていたものは出したんですけど、その結果、世に出なかった作品もありました。
――『カトマンドゥー』では「NEW BIGINNINGS」という曲が未収録になっていたり、レコードというメディアゆえの収録時間の制約もあって、ディスコグラフィーだけではあの頃のゴダイゴの全貌は捉えきれないと思います。しかも当時は創り出す楽曲のスケールが大きくて、近年になってDVDに収録されましたが、和楽器と共演した「IN YOU勧進帳」も壮大な組曲でした。これはどのようなきっかけで作られたのでしょうか?
ミッキー:81年の2月 に放送されたNHKの『日本の響』という番組にゴダイゴが出演することになって、番組側から「和楽器と一緒に何かやりませんか」と提案されて、それがきっかけでした。曲については、分かりやすく長唄の勧進帳でいこうと。番組ではアメリカのHIROSHIMAというバンドも一緒でした、司会は柳生博さんと佐良直美さん。柳生さんは音楽好きな方でしたね。
タケカワ:しかし、勧進帳はすごかったな…本当に緊張しながら演奏しましたね。しかもリハーサルもそんなにしていないんですよ。みんな完全にテンパっていて、さらに自分がストリングスシンセも弾くのか?みたいな。
――ミッキーさんはバンドとホーン・セクションも含めた全体の指揮をしながらの演奏、タケカワさんもボーカルのみならず、キーボード、ボコーダー(マイクの声を鍵盤の音程に置き換えて合成する楽器)まで駆使しながら大活躍でしたね。
タケカワ:めちゃめちゃですよね。もうすごいですよ。それを生演奏でやるっていう。しかもテレビでね。「威風堂々」もそうでしたけど。この「勧進帳」は和楽器の人の「イヨー!」って掛け声がきっかけで、いろいろな楽器が入ってくるところがたくさんあって、だから次に何のパートが来るんだか覚えられなくて。ここまで来たからきっと次は自分の出番に違いない!みたいな、そういう感覚で本番をやっていたんですよね。一応、譜面はあったんですけど。あんなに長い譜面をみんな一体どうしていたんだろう(笑)。
ミッキー:勧進帳はやっぱりベースが吉澤に代わったゴダイゴだからできた作品ですね。同じ組曲でも「威風堂々」はやっぱりスティーヴっぽいんですよね。あちらはロックで、勧進帳はもうジャズ系…本当に広義の意味でのフュージョンというか、あらゆるものが混ざり合っているという感じですね。このときに合図の掛け声を出してくださったのは三味線の芳村伊十七さん。隣で弾いていた杵屋勝国さんはのちに人間国宝に認定された方でした。鼓の藤舎華鳳さんは海外でも活躍されていました。
タケカワ:和楽器の人たちこそ大変だったと思います。演奏をしていて合図が出たら、ガーン!といかないといけないですからね。躊躇したら演奏が止まってしまうので。あんなに複雑なのに細かいキメごとは譜面に書いてないですから、みんな平気なのかな(?)って思いながらも、そんなことを気づかえる余裕はまったくなかった(笑)。とにかくちゃんと歌えるのか?みたいな。しかも真ん中のパートで歌う曲は、僕が作った時はそうではなかったのに、この人が変拍子にしたんです(笑)。
ミッキー:よくやるよね(笑)。やっぱりアメリカからHIROSHIMAが来ていたし、こっちは日本の代表という意識もあったからね。結局、和楽器との共演では初演のNHKと、TBSで生放送されてDVDになった『東京音楽祭(国内大会)』の2回だけしか演奏してないですね。
――かくも貴重な幻の演奏となったわけですが、当時「IN YOU勧進帳」をレコーディングして残すということはやはり難しかったのでしょうか?
タケカワ:あの当時はまだ「威風堂々」ですらレコードで出てなかったですからね。
ミッキー:「威風堂々」は79年のライヴを録音してあって、著作権の問題がOKになったら出そうということでストックしておいたんです(84年9月にリリースしたアルバム『平和組曲』に収録)。まあ、組曲作品はやはりライブ演奏のほうが良いんじゃないかなと思います。
(第11回に続く)

